モウラーナーさんの知恵 (1):ムーサーと羊飼いの話

羊飼い

サラーム、ドゥースターン!Kimiちゃんです。

今回は、モウラーナーさんの『マスナヴィー』から、「ムーサーと羊飼い」の話をご紹介します。
ちなみに「ムーサー」は、旧約聖書にも書かれている古代イスラエルの民族指導者「モーゼ」または「モーゼス」のことですが、モウラーナーさんはあくまで作り話として、「ムーサー」を物語に登場させて語っています。

ムーサーはある時、羊飼いを見かけました。
その羊飼いは、こう神に祈っていました。

「ああ神よ、わが主よ。どこにいるんだい?
あなた様の下僕(しもべ)となり、お世話いたしましょう。
靴を繕い、髪をとかしましょう。
服を洗い、シラミを退治しましょう
ミルクをお持ちいたしましょう、偉大なお方!
そのお手に口づけし、おみ足をさすってあげましょう
お休み時には、寝床を掃き清めて差し上げましょう」

ムーサーは羊飼いの言葉を聞くと、言いました。

「おまえ、誰に向かってものを言っているんだ?
なんとバカバカしい戯言、全くこの不信者めが!
その口に綿でも詰めておくがいい!
おまえの吐いた言葉は、この世に悪臭をまき散らしてしまった。
『無知な友こそ敵である※』と言ったもんだが、全くその通りだ。
気高い神には、おまえが言うような奉仕など必要あるまい!」

※「無知な友を持つくらいなら、知(知恵・知識)のある敵を選べ」という諺もある。

これを聞き、羊飼いは言いました。

「ああ、ムーサーよ。あなたは私の口を縫い合わせてしまった(=口を封じてしまった)。私の魂を、後悔の炎で焼き払ってしまった」。
羊飼いは、身に付けていたものを引きちぎり、深いため息をつくと、砂漠の方へ小走りに立ち去っていきました。

すると、ムーサーに神のお告げが下されました。

「ムーサーよ、そなたは吾がしもべを吾(われ)から引き離してしまった。
そなたは、絆を結ぶために遣わされたのか、
それとも断ち切るためか?
この世で最も不当なことは、別離なのだ。

吾は全ての者たちに、各々の手段と言葉を与えておる。
おまえにとって冒涜であっても彼にとっては礼賛の言葉であり、おまえにとって毒であっても彼にとっては蜜であるのだ。

吾は形としての言葉を重視してはいない。
語る者の内面と、彼の気持ちを察しているのだ。
たとえ言葉が粗かろうが、その者の心の謙虚さを見ているのだよ。

愛の炎を常に絶やさず、魂を明るく照らしなさい。
固定観念も形も、愛の炎で焼き滅すのだ!」

神にお叱りを受けたムーサーは、羊飼いの後を追って砂漠を駆けて行きました。
そして羊飼いに追いつくと、こう告げました。

「作法や形式にこだわることなく、心のうちにあるどんな思いも、あるがままに言葉にせよ、と神から仰せつかった」

この物語は、絵本や舞台劇などでも、題材としてよく使われています。